2018年06月05日

これがやりたい!仕事ではなく これしかない!と思った便利屋という仕事。

おはようございます!

お元気してますか?

 

 

昨日はアポイトメント入れずに

事務仕事をしてました。

 

 

 

まずは、伊勢原倉庫兼事務所にて、

2トントラックの荷物を降ろしたり、載せたり

買い取らせてもらったものを

販売先によって変わるんですよね。

 

 

インターネットや

Amazon

海外輸出

商品としてではなく、

材料として再利用などなど

細かく振り分けていく必要があるんです。

 

この作業が

時間がかかる。

買取って営業してる以外のほうが

時間を使ってるんですよね。

 

清掃したり、写真どりしたり、

仕分けしたり。

買取って思っている以上に、

地味なお仕事なんです。

 

 

そのあとは、

本厚木駅に行って

会社にするまでの段取りをしてました。

 

通帳が見つからなかったり、

再発行の手続きしたら、

通帳が、出てきたり

家から2往復したり。

いろんなことがありました。。。

なんとか大丈夫そうかな?笑

ご迷惑おかけしてすみません。

 

 

お仕事やらなくちゃいけないことは

終わってないんですけど

開き直ってゆっくりしてました。

 

 

 

 

今までがむしゃらに

ビジネスの世界を走ってきました。

22歳から15年間。

 

 

20代の時は

すごく迷い続けて

色んなところにぶつかって

つまずいて

怪我しまくって

自分だけならまだしも、

周りにも迷惑をかけ続けた

 

 

30

これがやりたい!仕事ではなく

これしかない!と思った便利屋という仕事。

親にお願いして

ローンを組んでもらった

ケートラック。

 

 

最初はローンを払うのも苦しくて

1ヶ月3000キロを走り続けて

家に帰ることなく、

ケートラックの中で寝て

朝また違う現場に行ったり。

ただ前を見るしかなかった。

 

エライとか言われるけど、

そうするしかないなら

やるしかない。

別にエライわけではなく、

しょうがなく続けた仕事。

 

 

33歳の時に

便利屋という仕事は、

いずれ頭打ちになると考えていた

リフォーム屋さんに弟子入りしても

失敗した後

低迷期が続き

 

 

36歳買取ビジネスに出会う。

不用品回収と、

買取ビジネスを

組み合わせて

さらに

便利屋の仕事もこなしていく。

今の基盤ができてきた。

 

 

改めて振り返ってみると

どんな人生だったんだろ?

20代に描いた夢は、

高級高層マンションに、

住むなんて言っていた。

 

目標通りの人生ではなく

順風満帆でもない。

 

 

もちろん

好きな人との別れ

本当に好きな女性には

積極的に行く事は出来ず、

いつも、片思いで終わってました。

 

これからも彼女などは、

出来ないのかなーと感じたり

心の痛みって痛いなーと

夜がねれなかったり。

 

 

今不慮の事故で、

本当に僕の人生が終わるとしたら

人生良かった?なんていわれたら。

 

『わからない』って

言うんだと思うんです。

 

もっと稼ぎたいし

好きなことをやりたい

女の子にモテたい

男だから許してください。

 

 

でも

『叶わない夢もあったけど、一生懸命生きたから、ま!死んでもいいか!』

なんて思うはずです。

 

 

いつが楽しかった?

 

僕はいつでも

今この瞬間が、楽しい。

思い出に浸る時はあっても

前を向いて歩いて行きたいと思う。

 

詳しくは

こちらの記事で。 

 独立ノウハウ
車1台あればできる便利屋。

でも、始めやすい仕事は潰れやすい。開業資金0円の便利屋が語る独立ノウハウ

 

 

さてさて。

本日は、

相模原市緑区にて

スピーカーなどの不用品買い取り

厚木市鳶尾にて、

音響のアンプ買い取り

厚木市上荻野にて、

家一軒分の不用品買い取り案件です。

楽しんで行きましょう!

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